No title [2]

遺伝子の研究なんかやっていると、病気の相談みたいなものを知人から受けることがしばしばある。「難しくてなんだか分からないのですが」と。

自分は医師ではないので、「病気について語るのは無責任だろう」という気持ちと、「話しかけてもらったからには何か出来ることはないだろうか」という気持ちを抱えることになる。

だいたい、その病気について調べて(どんな遺伝子なのか、など)一生懸命説明して、その結果、微妙にがっかりされたような反応が返ってくることが多い。なんだか間違ったことをしてしまった気分になって、数日くらい、どんより落ち込む。

たぶん、相手が求めていたのは説明なんかじゃなくて共感だったのだろう、と思っていたのだが、Kに話すと、「相談を持ちかけた相手すら、何を求めていたか分かっていないかもしれないよ」という。

これまで、患者さん同士のサロンの存在意義について深く考えたことなどなかったけれど、同じような境遇の人が集まって、本人ですら言語化できない感情を共有する場所というのは、とても大事なのだと初めて考え及んだ。

それこそが、小さなコミュニティの存在意義なのだろう。

そして、外部にいる私には、そこに漂うものが共有できなくて当たり前。

いつか自分が同じような境遇になったら、なんて想像力を働かせたって、今そこのコミュニティには入ることは決して出来ない。

はっきりした形のない期待に応えられなかった自分を責めるのはやめることにする。器以上のことはしない。

そう決めてもどうしても、病で亡くなってしまった、家族以上に自分を応援してくれたある人のことを何度も何度も思い出す。あの手紙にもっと書けることはなかったのかという思いがこみ上げてきて、仕事をしながら泣きそうになる。いつも。