母が、私につけたかった名前は別にあったらしい。
私のファーストネームは”優子”であるが、事あるごとに(といっても、33年間で数回程度だと思うが)母が「別の名前が候補だったのにー」と若干悔しそうに嘆いていたのを目にしてきた。私自身、何かと収まりの悪い漢字5文字の字面と、どう見てもfemaleで、どこにでもあるこの名前を軽く呪っていたので、実はあまり下の名前に愛着を抱いていない。愛着がない、と言うと、「せっかく親にもらった名前なのに!」と怒られてしまうかもしれないが、当の親が別の名前を付けたかった、と恨めしそうに繰り返し言っているのだから、そこはもう仕方ない。
母は、「山を越え、谷を越えた長い川が広い海につながるように」という意味を込めて、わたしに”広海”と名付けたかった、と言う。苗字の意味とかけて、しかも、親父と伯母のファーストネームに共通していた漢字を1文字もらうという、当時27歳の母のこだわりが詰め込まれた名前だったのだが、母曰く「心意気がモダンすぎて、周囲に理解されなかった」らしい。
ならばせめて、苗字が3文字なので名前は1文字にしてバランスを取りたい、という彼女の美意識に沿って選ばれたのが”優”だった。
だが、父方の祖父が、「女の子なんだから”子”を付けろ」と言ったばかりに、結局のところ”優子”となり、漢字4文字がマジョリティの日本社会において、名簿の見た目の調和を乱す・苗字と名前の間のスペースが省略される等、なんだか腑に落ちない経験を頻繁に強いられる5文字ネームになってしまった。ちなみに私は、猟や釣りが趣味だったこの豪快な祖父に可愛がられたが、彼は私をいつも”ゆうたろう”と呼んでいた。”子”は何処へ行った。
そして、母方の祖父母・叔父・叔母・いとこ、すなわち母方親族一同は、例外なく私のことを”ゆうちゃん”と呼んでいる。ただのあだ名か、はたまた33年前の母のこだわりがこんなところに残っているのか。真相は謎だが、とにかく”優子”が定着していない。この間、LINEで母と通話して久しぶりにこの話題が出たときなんか、「あんたは”子”が付いていなかったら一生結婚しなかったと思う」と、スピリチュアルな方面のオチが求められるようになってしまっていた。
というわけで、我が名ながらどこか他人事のような印象を常に受ける”優子”だが、ユーコユーコと、呼びやすいらしく、アメリカでは周囲からご好評いただいている。ユニセックスな名前が良かったなぁ、と思っていた私なので、英語圏に移って、意味を落として音だけになった”Yuko”を目にして耳にして、じいちゃんもこれは予想していなかっただろうなぁ、なんて思ったりする。
この間、ラボで教授が「Yukoって名前は、うちの犬の名前に似てる気がする!」と飼い犬に嬉しそうに話しかけていたのを見て、それならばYukoも悪くないと思った。
しかし、犬かい。ユニセックスどころか人間ですらない。
ちなみに、教授の飼い犬の名前は”Juno”という。Junoは、そういえば結婚の神さまだった…。
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6月30日で、ボストンに移ってちょうど一年になった。
29日には、日本でお花を使う用事が2件あって、東京の素敵なお花屋さん「The Little Shop of Flowers」にお願いした。
写真は、その心のこもった仕事。メールで送ってもらったふたつの写真を重ね合わせ。
もう一年。