ぷんすか

共謀罪や某学校法人などのニュースを見て、日本から遠く離れたボストンの、HarvardのQuadの片隅で、ひとり怒っている。

森友のニュースをtwitter上で見かけたあたりから、政治やデリケートな話題をFBで取り上げるのは嫌がられるかなーと思いつつ、同じように怒ってくれる人がいるのか、それともこれから自分は「アメリカかぶれの意識高い系のうるさい人」みたいな感じで避けられていくことになるのか、知りたいような知りたくないような気持ちで色々投稿していた。

Science for March [3]に書いたように、黙っていられないのがわたしの本性なので、それを晒すことで、もし何割かの知人との縁が切れてしまっても仕方ない。それを気にするよりも、どこかで同じように怒っていたり、不安感に煩わされている誰かの救いになる可能性のほうを取りたいと思う。

私は研究に関わる者として、日本にはどこの国にも負けてほしくないと思っている。けど、中央の舵取りがあんな雑な感じで一体これからどうなっていくんだろう、この国から逃げ出しちゃいたい、とも思う。あれが「強力なリーダーシップ」なのだろうか?「詳しいことを知らないのに、文句言うな」と言う人も世の中にはいるようだが、詳しいことを知らなくたって、聞く耳さえ保っていれば、「訳がわからない」って理由でどんどん怒っていいと思う。それに対して誠実に説明してくれるのが、きっと良い政治家だろう。

ちゃんと怒らないと、いつか本当に変なことになっちゃいそう。

文芸評論家の加藤典洋氏のツイートがぐっときたので引用したい。

「日本だけが戦後、自力での民主化の経験がない。」

戦って自力で得たものではないから、自分の国のことなのに、なんとなく他人事のまま今に至っているのだろうか。

Kさん曰くの「当てはめハラスメント」が日本にベッタリ残っているのも、もしかしたら人権意識を自力で戦って得た歴史がないからなのでは、と私はなんとなく思っている。「戦争に負けたら、なんかよくわかんないけど空から降ってきた」程度なんじゃないか。自分と異なる人を認めるということが、まだ国の精神に染み込んでいないのかもしれない。いや、日本における人権に関する歴史って、ちゃんと勉強したことないから確信ないけど。

少なくとも社会の授業で「勉強」した人権に関する記憶は非常に薄い。テストでは100点とか取ってたくせに、このざまだ。

自分が情けない。

誠実に、冷静に、知ることを重ねていけば、怒りをコントロールする術を身につけて、愛ゆえの批判みたいなものができるようになるんだろうか?