「子供はまだ?」の裏の話

昔、たぶん小学校高学年くらいのことだ。

「自分の子供とか、全然欲しくない」と言ったら、
「やめてくれよー、姉貴と同じこと言わないでくれよ」
と父親に言われたことがある。

父方の伯母は結婚していたが、子供がいなかった。

私は小さいころ、その伯母とよく似ていると言われていたので、外見が似ると思考も似るものか、なんて思った。

あの子はなんで子供作らないのかしらねぇ、と祖母が首を傾げているのを見かけたことがあったし、「姉貴と同じこと言わないでくれよ」と私に言った父の様子が、ひえー、というか、ぎょえー、というか、勘弁してくれよー、というふうに見受けられたので、「あれ、私は今、何か変なことを言ったみたいだな」といった腑に落ちない感じが、私の中でこのエピソードに紐づけられることになった。

大人になったら自然と子供が欲しいと思えるようになるんだろう、「自分の子供が欲しくない」というこの考え方は、そのうち「治る」んだろう、と思い続けて数十年。結婚までしたが、いまだにそうすんなりと思えない。自分の思考が変わることがあるか、現在進行形で眺めている最中だ。適齢期がどうのこうのとか、知識が広がるのは大事なことだと分かっている。でも一方で、そういう報道には暴力的な煩さも感じる。自分の考え方に違いないのだが、自分じゃどうにもできないのだ。

そう、どうやら私は、「自分の子供が欲しい」と自然と思えない類の人間であったらしい。こういうのはおそらく脚の長さとかと同じで、努力したとしても劇的に変わるものではなさそうな気がする。開き直っているような体裁でいるが、開き直りきれていないから、こうしてここで書き散らかしている。

友人たちに子供の写真を見せてもらうと、とても嬉しい。大事な宝物をそっとおすそ分けしてもらった気持ちだ。でも自分が子供を持ちたいとは積極的に思えない。数十年間、「わたしはどこか変なんだ。」と軽く悩み続けている。

そういう人もいるよね、って、本当はそれだけのことなのだが。

それにしても、わたしの伯母は当時、何を思っていたのだろう。化粧っ気のないスモーカーだった彼女は、何かにつけて本やガラスで出来た小物に手紙を添えて贈ってくれた。「動物のお医者さん」を読んだのも、彼女の影響だった。父は…まぁ、あんまり深いことは考えていなかったかなぁ。

二人とも亡くなってしまったから、残念なことに、このエピソードのその後の話はもうできない。伯母がもしまだ生きていて、今この歳になった私が語りかけてみたら、何を話してくれるだろう。でも、やっぱりこの件について話すことはないかな。繊細な話題だものね。ああ、難しいな。