職場は2部屋に分かれている。私のいる部屋は半数が中国系のメンバーで、彼らは母国語で会話する。何を話しているのか私にはわからない。なんだかちょっと話しかけにくくなる。その他もろもろ、小さなことが積み重なって、上手にコミュニケーションをとれないような気がしてくる。
渡米した時に「アメリカに来た以上、たとえ職場に日本人がいても日本人以外のメンバーがいる場面では日本語はできるだけ使わないようにしよう」と密かに心に決めた。日本人に向かって拙い英語で不自由に話す光景が滑稽だろうが、そうしたほうが良いと思ったからだ。
シカゴの研究室には、私以外に日本人が2人いた。Aさんは職場では絶対に日本語を使わない人だった。超緊急時(ラボが閉鎖になるという話が出た時)以外、日本語で会話した記憶があまりない。一方、Bさんは研究の相談事など、日本語で良く話しかけてきてくれた。新しい職場にまだ馴染みきれない私にとって、それはとても嬉しいことだったのだが、周りにいる日本語を知らないメンバーに申し訳ない気がして、早く話を切り上げなければいけない気持ちにもなった。
ちなみにAさんはBさんから日本語で話しかけられても英語で返事をしていた。私にはそこまでの精神力はない。Aさんすげえ…。
そういう経験をしたこともあって、一見したところ話が弾んでいるようでも、実のところ誰が何を思っているか知るすべはないことは分かっている。だから本当は、「職場で同僚が何の言語で喋ろうが構わない」と涼しい顔をしていたい。でも一人だけ会話に加われないとやっぱり微妙にいじけた気持ちを抱える羽目になる。涼しい顔で世界を渡り歩くのはなかなか難しい。
何語で話しても良いと思う、でも何を話しているのか分からないのはちょっと寂しいんだよね、とパートナーのKの同僚T(彼も中国出身)に愚痴ったら、「アメリカの職場で中国語で会話するのはプロフェッショナルじゃないよ」と、彼はズバッと言い切った。それ以来、食事会などでTと顔を合わせる度に「同僚たちとちょっとでも仲良くなれたかい?」と心配されるようになってしまった。同じく中国出身の隣のラボのCにも、「君のラボはちょっとコミュニケーション取りにくい雰囲気だよね」と同情されてしまう始末。
大丈夫、話しかければ皆ちゃんと応じてくれるし、良い人だなって感じるよ。と、それに答える。それは嘘偽りない本音だし、いじけた気持ちを抱いた自分を情けなくすら思う。
でも、接触する機会がないことが長く続くと、気持ちが変な方向へ転がる時だってもちろんある。育った国など当然のように共有するものが少ない相手ほど、会話することの威力が大きいなぁ、としみじみ思う。
だから、冷凍庫・冷蔵庫のスペースをたまに奪われようが、ピペットがたまに拝借されていて、そのまま戻されていなかろうが、某ポータルサイトYJのコメント欄にあるような、特定の国を非難するクズコメントみたいなことは決して言うまい。腹が立った時は出来る限り、その人ではなくその振る舞いを正しく非難する言葉を身に付けたい。
そんな心意気をサポートしてくれるかのように、ラボマネージャーが相手の振る舞いをたしなめる英語表現を教えてくれた。…いや、教えてくれたというよりも口論の現場に私が居合わせただけなのだが。
キーワードは、”unfair”そして”unprofessional”のようだ。そう、さきほどのTも「プロフェッショナルじゃない」という表現を使っていた。
では、フェアネスやプロフェッショナルの定義とは?そりゃ共用の冷蔵庫を一人だけで占拠するのは、あからさまに公平ではないが、特にフェアネスについて深く突き詰めるとアメリカが今まさに直面している課題にもつながりそうだ。job hunt中の同僚から面白い話を聞いたのだが、長くなるのでこの記事はここらへんで。続きはまた。
写真は廊下に貼ってある世界地図。日本にピンをぶっ刺したのは私。