Sの話 [2]

酒を飲みながら、あるいは飲まずにSとは色々な話をした。ある時は醤油差しからバウハウスへ話が繋がったりもした。趣味が合うせいか、Sと話すのはすごく楽しかった。

当時、私たちは2つの研究室が共有している部屋に更に間借りする形で実験をしていた。細胞培養部屋の共用のインキュベーターには、隣の研究室が使っている象の培養細胞が入っていた。まさか自分の飼っている細胞の隣に置いてある培養皿の中身が象の細胞だなんて想像するはずもなく、初めて知った時は、それはもう驚いた。

昼間、ブラジル人の多いもう片方のラボからは、英語ではない言葉でのおしゃべりが聞こえてきた。皆、夕方になると仕事を終えて帰っていった。そして、6時を過ぎると大抵、研究室には象の細胞の飼い主である隣のラボのポスドクと、私とS以外はほとんど誰もいなくなった。

ある日のそんな時間帯にSが、「日本の政治はどうなんだい」と聞いてきた。2015年のいつ頃だったかまでは覚えていないが、何か心に引っかかるニュースを目にしたのかもしれない。韓国との外交問題が頻繁に話題に上がっていた時期だった気もする。そして、こっちの反応を見てやろうというような、いたずらっぽい顔で彼は言った。

「今の首相は、かなり右寄りなんだろう?」

当時の私は、Sが日本の首相というか、そんなことまでを知っているのに面食らった。

私のパートナーもフランス出身の同僚との会話中に似たような経験をしたことがあるらしく(彼は、同僚が「NIPPON KAIGI」と言ったのを聞いて驚いたという)今思えば、Sが特別、国際情勢に詳しいというわけではないと思う。日常会話に政治の話題を出すのは当たり前のことなのだ。

この時の会話をはっきり覚えている。

「どうして右寄りのリーダーが支持されているんだろう」

というSの問いかけに、

「私たちはずっと”第二次世界大戦で間違ったことをした”と教えられてきたのだけど、もしかしたら自分たちを否定することに疲れてしまって、今そういうリーダーが支持されているのかもしれない」

と私は答えた。

Sはうなづいて、

「家族や友達と、そういった話はする?」

と聞いてきた。

「ほとんどしない。する機会なかったよ。」

と私は答えた。

日本もドイツも第二次大戦の敗戦国だが、それをどのように受け止めて消化してきたのかということにSは興味を抱いて、私に話題を振ったのではないかと思う。

この会話が頭のどこかにあったので、ネットに漂っていたある画像が目に留まった。「ドイツ人がホロコーストの加害者であることをどう考えているか」というインタビューに対するドイツ人学生の答えだった。

私は罪の意識はありません 何も悪いことはしていないから
でも私には二度と同じことが起こらないようにする責任がある

こんな考え方、したこともなかったので衝撃だった。

学生のこの言葉は、ドイツの元大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏の終戦40周年記念演説と重なるものがあるそうだ。「荒れ野の40年」と題されている演説だ。

演説の全文をまだ読み切っていないので、そんな状態でここに感想なり何か書くべきではないかもしれない(読み切ったら追記したい)。「罪と責任を分けて受け止めて先へ進むこと」に関してのみ、思ったことを書き出してみたが、物凄く浅くて馬鹿っぽい文章で嫌になった。もっとちゃんと考えることにする。

…さて、シカゴにいる間、Sは私に何冊か本を貸してくれたが、その中でとりわけ印象的だったものがある。

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