写真は、普段のハーバードメディカルスクールのキャンパス。
さて、実は「March for Scienceはあくまでも科学の重要性を訴えるために行われたものであって、(本当は)トランプ政権への批判を主目的としたデモではない」ということだった。しかしながら実際のところは、というか当然、政権批判の匂いはそこら中から立ち込めていたし、アンチトランプのポスターも掲げられていた。
つまり大学側が積極的に支援したイベントにおいて、政権批判も行われているということになるのだが、日本の国立大学にそんなことやらかす気力・体力・財力はあるのか。いや、なさそう。
シカゴ大学もハーバード大学も私立なので、日本の国立大学と比較するのはフェアじゃない気もするが、(うーん、じゃあ州立大学と州の関係とかどうなんだろう)所属する研究者たちはNIH(アメリカ国立衛生研究所)から研究予算をもらっているわけで、「政権批判につながるようなイベントに参加したらお金もらえなくなる!」なんてこと、ふと考えちゃったりしないのだろうか。
どうもここらへんの感覚に、私が「日本ではこういう風にはならない」と思ってしまった理由がある気がする。
「大学が政権から完全に独立した存在でいることが健全な社会にもつながる」という考え方に対して、「それは理想的だけど、まぁ無理でしょう」と私は思っているみたいだ。
あるいは、私の思う理想の形は全くの的外れで、むしろ政権と大学がべったり二人三脚・一蓮托生を成し遂げてこそ、日本独自の堅固な高等教育をもって世界と互角に戦えるレベルを保っていけるのかもしれない。(ここは若干の棒読み感を添えて反発を示したいところだが。)
こういうことをもっと深く考えると、天下りだの某学校法人の騒動だの、「権力と仲良くしておくと良いことあるよ」系の報道を見た時に、自分なりの方向性を持って難なく反応できるようになるんだと思う。というか博士持ちである以上、こういう話題に対しては漏れなく反応するべきなのか?少なくとも私は、本当はニュースとか出来るだけ見たくないんだけど…。だって怒ろうが嘆こうが、ほとんどのことは何も変わらない。
でも、中国出身の子が「デモ見た?!」って話しかけてきてくれたり、ここに投稿した写真をくれた同僚の出身がイランであったり、そんなことを踏まえると、嫌でも「政治に対して意識高くしよう」と感じざるを得ない。
でもでも、もしかして、本当は多くの人は「自由に主張ができる雰囲気」なんて要らないのだろうか?大昔、学校のルールがどうしても納得できなくて、学年集会で教員に対して言いたい放題ぶちまけて(そもそも、ルールについてみんなで話し合いましょう、という集会だった)後から保健室へ呼び出しをくらい、「今日のあなたはおかしい」と言われ、ものすごく悔しい思いをした私としては、喉から手が出るくらい欲しかったものなのだが。私の感覚が平均的なものからはずれてしまっているのかもしれない。でも、もう平均に合わせないことに決めた。