同じく、研究室の同僚が撮ってくれた写真。上はデモ当日の午前にハーバード医学部のキャンパスで行われた集会に集まってきた人たち。下は午後に市の公園(ボストンコモン)で行われた集会に集まった人たち。
”主張できる雰囲気”を支える大学の努力は、March for Scienceのスケジュールを眺めてみると見えてくるものがあるかもしれない。
Marchのおよそ1ヶ月前: 大学の事務が全体向けメーリングリストでMarch for Scienceのアナウンスを流す。学部長が集会で演説することも発表される。ポスターも大学の掲示板に張り出される。
Marchの前々日:ポスドクオフィスから「オフィスにMarch for Science用のポスター作るための文房具があるよ。あとコーヒーとドーナツもあるよ。」というメールがくる。
同じくMarchの前々日:大学の事務から全体向けにMarch for Scienceのリマインドメール
Marchの前日:大学の事務からダメ押しで全体向けに再度March for Scienceのリマインドメール
当日の午前10時:sciencefor2020というハーバード・MITなどボストンの研究者たちによる有志の団体が、大学のカフェテリアで集会前の集会をやったらしい(コーヒーとスナック付き)
当日の午前11時:大学構内の中庭で集会。学部長はじめ教授数名、ポスドク・学生代表や大学病院の元患者さんのスピーチ
当日の午後2時:大学の集会に参加したその足で、ボストンコモンへ徒歩・電車などで向かう。他の参加者たちと合流して、全体集会。ここでもハーバードの学部長や教授が登場。
要するに、大学がデモにかなり積極的に関与しているように私には見受けられる。公認的なものが感じられると参加しやすくなるのは、どこの国でもきっと同じ。
sciencefor2020に関しては、「我々の意見は所属団体の意向を反映したものではない」と明言して予防線を張っているけれど、大学内のカフェテリアが集会場になっていたので、少なくとも大学側もこういう団体の動きを排除しようとはしなかったはず。
ここから私が見たのは、
1. 不安や疑問を抱いている人たちが、彼らの所属先である大学などに背中を押されてデモに集まる
2. メディアがそれを取り上げて世間の目を引く努力をする
という流れ。偉い人を集会に引っ張り出してスピーチをセッテイングしたり、スナックを用意したりして、「デモに行くのはちょっと…」みたいな躊躇を取り除く工夫がぽつぽつ見受けられる。
その日あったことを綴る文章に写真が添えられて、多くの人の目に晒されるほど、デモの主旨が伝わる可能性は高まるし、「アメリカでは人々が自由に主張できる」というイメージの拡散へもつながっていっている気がする。
March for Scienceに果たした大学の役割はとても大きい。じゃあ仮に日本政府が科学予算カットすると言ったとしよう。日本の大学もデモ主導して科学研究の重要性を世間へ訴えかければいいじゃない。そして皆もっと、顔色を伺わずに言いたいことを言い合って、落とし所を見つけよう、という空気が広がればいい。
どうだろう。やっぱりそんなことは日本ではできないんじゃないかと思う。
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